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石狩街道(道道石狩手稲線)
現在(平成20年)
現在(平成20年)
所在地 前田地区
 
説明

 石狩市花畔と手稲本町とを結ぶ現在の道道44号石狩手稲線は、昔は「石狩道路」あるいは「石狩街道」と呼ばれていました。石狩は江戸時代からさけ漁で栄えてきており、日本海側各港を北前船が行き来していた当時は、蝦夷(えぞ)の寄港地としても良く知られていました。
 開拓当初は、石狩への物品の輸送は主に船で行っていましたが、気象条件に左右されるなど不便でした。そこで、明治の初めあたりから、手稲と石狩を結ぶ道路が計画されていましたが、工事が始まったのは鉄道が開通し軽川停車場ができてからで、明治21年(1888年)のことでした。
 翌年の明治22年(1889年)8月には完成して、石狩方面への貨物が軽川へ集まるようになり、まちがどんどん発展していきました。