説明
大正10年(1921年)5月、軽川に軽石軌道株式会社が設立されて、翌年10月29日には、現在の西友手稲店付近から石狩花畔までの約8kmを道道石狩手稲線に沿って走る馬車鉄道が営業を開始しました。
この鉄道は、一般貨物を運ぶ台車と旅客を運ぶ客車とに分かれていました。
客車は軽川・花畔間を1日3往復し、途中に4か所(新川・南四線・南七線・南九線)の停留所があって、始点から終点までは約1時間かかりました。
台車で運んだ貨物は、サケ、燕麦(えんばく)、小豆、亜麻などの食料品から、石狩で出ていた原油、沿線農場の牛乳などがありました。燕麦などは、1回に50俵ほどを運べたそうです。
当時の石狩街道(現在の道道石狩手稲線)は、石狩への交通の重要な役割を担っていましたが、地盤が悪く、雨が降った時はぬかるんで通行困難となっていたため、馬鉄は大量輸送手段として期待されていました。
この馬鉄は、客車や台車をつないで走り、人や貨物が移動するのに大変便利になりましたが、道路の整備やバスの利用が進んだため、昭和12年(1937年)9月15日に営業を停止しました。 |
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