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水害の常習地(じょうしゅうち)
手稲町報から
手稲町報から
所在地 前田地区     ※記念碑などはありません
 
説明

 新川は、低湿地帯の排水を目的として明治21年(1888年)に造られた人口河川ですが、昔は改修工事を何度行っても河口付近の川底がすぐ上がってしまい、川の水が海へ流れにくくなっていました。大雨や春先の雪解けの時には川が逆流して、新川沿いの前田地区の低地帯(海抜5m以下)は毎年のように大被害をこうむってきました。
 昭和38年(1963年)に、当時の手稲町は被害の大きい前田、稲積地区の災害防止のため、改修工事の早期完了と堤防を造る工事、それから軽川など支流の切りかえ工事を北海道に陳情(ちんじょう)しています。
 しかし、昭和40年(1965年)には台風によって新川が逆流し、前田地区はほとんどが浸水してしまいました。
 その後、新川の幅を広げたり堤防を造ったりする工事が進められて、昭和56年(1981年)の水害以降に大きな被害をもたらす水害は起きていません。