説明
明治21年(1888年)9月発刊の「東京人類学会雑誌」に、広い原野の中のやや小高い砂地で、土器、石器(石ぞく、石斧)、丸石を採集したことが紹介されています。これは、現在の前田7条から12条付近にある札幌市埋蔵文化財センターが発掘した遺跡群あたりのことを示していると考えられています。
これらの遺跡は、すべて紅葉山砂丘と呼ばれる砂丘地帯の南西端にあります。この砂丘は、石狩市美登位(びとい)地区から手稲区前田にかけて海岸線にほぼ平行に続いたもので、当時は海に面しており、遺跡はちょうど波打ち際の渚にあたるところにあったようです。
この遺跡群からは、縄文時代から擦文時代の土器や石器、それから集落の跡地が発掘されました。 |
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