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新川神社跡
昔の様子
昔の様子
昔の様子
所在地 前田10条11丁目1     ※当時の建物や記念碑はありません
 
説明

 明治32年(1899年)頃に、菊地正吉が岩手県より持ち帰った聖徳太子の像を、前田地区砂山に小さい祠(ほこら)を建てて祀(まつ)ったことが新川神社の始まりです。昭和3年(1928年)には、現在の前田10条11丁目付近に移転し、その数年後に社殿が造られました。昭和11年(1936年)に前田農場が開放された時には、その守護神である天満大神(菅原道真)が合祀(ごうし)されています。
 この神社の社殿は、昭和29年(1954年)に台風で崩壊してしまったため、大正天皇が皇太子の時に前田農場を視察した際の休憩所として使われた建物を、新しい社殿としてゆずり受けました。
 昭和48年(1973年)には、手稲神社の造営にあわせて合祀(ごうし)することになり、聖徳太子は兼正寺に祀(まつ)られることになりました。