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手稲鉱山沈殿池(ちんでんち)跡
当時の様子
所在地

曙5条4丁目、5丁目     ※当時の建物や記念碑はありません

 
説明

 現在の運転免許試験場と手稲山口地区軽工業団地のある場所に、手稲鉱山の廃液処理場として、昭和14年(1939年)7月に沈殿地(ちんでんち)が作られました。
 手稲山腹にある選鉱場から2km離れたこの沈殿地へ、太さ15cm超の頑丈な送泥鉄管で廃液が送られていたのです。
 戦後、沈殿地を使わなくなると、乾燥した鉱さい(鉱石のくず)が飛び散って問題になったこともありました。