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説明
大正末から昭和初期にかけて、現在の富丘地区三樽別川付近に「手稲養狐場」がありました。手計丈作(たけいじょうさく)や早川頼房が経営していたもので、当時の貴婦人の高級えり巻用に銀黒狐を何百頭も飼っていました。
大正15年(1926年)3月5日付けの北海タイムスの記事には、「世界の市場に乗出した本道の養狐業 道産銀黒狐を倫敦(ロンドン)に輸出」とあります。また、同年夏に中島公園で開催された「国産振興博覧会」では、日本で初めて養狐を出品したようです。
しかし、ここで飼われていた狐のほとんどが輸出用であったため、戦争が始まって輸出できなくなり廃業したようです。 |
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