説明
藤の湯は、古い歴史をもった銭湯です。明治35年(1902年)に、村上藤吉が浴場を作ったことがその始まりです。
昭和26年(1951年)発刊の『手稲町誌』には、「明治35年(1902年)藤廼舎鉱泉と称す、謂われは、明治7年(1874年)若洲小濱生の六部某が病を以て来村したが偶々朝里方面にて土人より鉱泉あるのを聞き、村上藤吉方に寓居し入浴した處が、病も良くなった為に浴場を新築明治35年(1902年)試験の結果効果ありと認められた。」とあります。
この、村上藤吉は、秩父事件の中心人物の一人である、井上伝蔵をかくまったと伝えられています。『秩父颪―秩父事件と井上伝蔵』(小池喜孝著)には、「明治21年(1888年)の春、軽川の村上藤吉に移る」とあります。また、明治24年(1891年)には、井上伝蔵が石狩にいた記録が残っています。 |
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