

<資料名> |
手稲の教育の歩み その1 |
<よみがな> |
ていねのきょういくのあゆみ その1 |
<写真> |
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<収集地> |
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<受入区分> |
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<製作地> |
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<製作年代> |
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<使用地> |
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<使用年代> |
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<大きさ(縦)> |
115 |
<大きさ(横)> |
83.5 |
<大きさ(高さ)> |
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<大きさ(直径)> |
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<材質・材料> |
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<備考・コメント> |
手稲の教育の始まりは明治5年(1872年)、元仙台白石藩士たちが 上手稲に移り住んだときの取り締まり役であった三木 勉が開いた時習館 (じしゅうかん)である。
時習館は今の手稲東小学校の前身である 。
その頃の時習館はとても粗末な塾舎であったが、そこで教えをう ける子供たちはとても熱心に学んだといわれている。
このパネルに は、三木 勉の教育への考えや、その取り組み、特徴と彼の偉大な功績を たたえると共に、時習館を永久に記念する記念碑の記録を収めている。 |
<収蔵施設コード> |
11:手稲記念館 |
<大分類(コード)> |
99:その他 |
<中分類(コード)> |
99:その他 |
<小分類(コード)> |
99:その他: |
<個別番号(コード)> |
11-0319 |
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