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<資料名> 肖像写真 三木 勉
<よみがな> しょうぞうしゃしん みき つとむ
<写真>
拡大写真
写真
<収集地>
<受入区分>
<製作地>
<製作年代>
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<使用年代>
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<材質・材料>
<備考・コメント>  (177参照)  開拓者の中心人物である。三木勉は、入植後間も
なく「移住者の子弟の教育は一日もゆるがせにしてはならない」と人々と
図って「時習館」を開いて教育のことにあたった。移住者の子弟ばかりで
なく近くの一般の子弟も受け入れた。まだ小学校も十分になかった頃のこ
とであり、手稲の教育の始まりとも言うべきものであり、また、北海道の
教育のもとになる役割を果たしたといってよいのである。
<収蔵施設コード> 11:手稲記念館
<大分類(コード)> 01:記録<地図や写真など>
<中分類(コード)> 01:記録<地図や写真など>
<小分類(コード)> 04:写真:レポート、写真、実測図、テープなど取材等の結果生み出された資料
<個別番号(コード)> 11-0224

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