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<資料名> 掛軸 三木 勉 辞世の歌
<よみがな> かけじく みき つとむ じせいのうた
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写真
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<受入区分>
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<使用年代>
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<材質・材料>
<備考・コメント>  三木 勉は明治5年(1872年)上手稲開村のときの取締りであった
。  氏は開拓者の子弟を教育(時習館の運営)し、常に開拓の人々を
励まして、理想の村づくりに努力した人であった。  明治28年(1
895年)1月6日東京でなくなったときは57才であった。  この
掛軸は彼の辞世の歌(死ぬときに残す歌)であり、孫娘の国子氏が書いた
ものである。  三木 勉の墓所は宮城県白石市寺囲5の1清林寺境内
にある。  札幌創建百年にあたって出版された「札幌百年の人々」の
中にその経歴がくわしく記されている。
<収蔵施設コード> 11:手稲記念館
<大分類(コード)> 01:記録<地図や写真など>
<中分類(コード)> 01:記録<地図や写真など>
<小分類(コード)> 09:その他:レポート、写真、実測図、テープなど取材等の結果生み出された資料
<個別番号(コード)> 11-0199

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