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<資料名> 蚕座
<よみがな> さんざ
<写真>
拡大写真
写真
<収集地>
<受入区分>
<製作地>
<製作年代>
<使用地>
<使用年代>
<大きさ(縦)>
<大きさ(横)>
<大きさ(高さ)>
<大きさ(直径)>
<材質・材料>
<備考・コメント>  北海道開拓の初めころ、開拓使は蚕(かいこ)を飼うことをすすめた。
手稲でも明治6年から明治14年ころ(1873〜1887年)まで、養
蚕を営んで、まゆの生産をしていた。この蚕座はその頃使われていたもの
である。  卵からかえった、蚕の幼虫である毛子(けご)をこの上に
移して、桑の葉をきざみ、十分に与えて成長させるのである。蚕はやがて
口から細い糸を吐き出し、自分の体を包みこんでまゆを作り、その中でさ
なぎになる。そのまゆから絹糸を取るのである。  蚕座は笹竹を割っ
て薄くし、亀甲形(きっこうがた)に編み、ふちも笹竹で作られている。
蚕座はいくつも台の上に並べられたり、また何段かのすかし棚に納められ
ていた。
<収蔵施設コード> 11:手稲記念館
<大分類(コード)> 07:産業
<中分類(コード)> 05:工業(土木・建設)
<小分類(コード)> 02:繊維・皮革工業用具<せんい・かわ工業用具>:
<個別番号(コード)> 11-0132

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