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<資料名> 開拓者 半沢 ウメノ
<よみがな> かいたくしゃ はんざわ うめの
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<受入区分>
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<材質・材料>
<備考・コメント>  父半沢勇は、元仙台藩支藩白石藩片倉小十郎の家臣で、明治4年(18
71)白石藩家臣が北海道へ移住する時に同志の人たちと一緒に石狩に着
き、翌年の明治5年春に上手稲に入植して開拓に努力した。半沢ウメノは
明治19年(1886)6月30日に半沢勇の六女として生まれた。成長
するにつれて、家庭の仕事を手伝いながら女性としての修業の道にもはげ
んだ。その後、白石村の森忠宣のお嫁になった。しかし、不幸にして夫が
亡くなり、また、半沢本家(半沢義之の妻養子)の姉も亡くなり、本家に
戻ることになった。本家に戻ってからは、牧場を営もうと牛を飼い次第に
繁栄して一代をなした。義之が昭和27年2月にこの世を去るなど、不幸
が続いたが、何事にも屈することなく努力する男まさりであった。昭和4
5年9月、病気になり療養中であったが惜しくも昭和46年9月(197
1)9月3日この世を去った。85歳であった。
<収蔵施設コード> 11:手稲記念館
<大分類(コード)> 01:記録<地図や写真など>
<中分類(コード)> 01:記録<地図や写真など>
<小分類(コード)> 04:写真:レポート、写真、実測図、テープなど取材等の結果生み出された資料
<個別番号(コード)> 11-0044

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