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<資料名> 開拓者 三国 寅吉
<よみがな> かいたくしゃ みくに とらきち
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<受入区分>
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<材質・材料>
<備考・コメント>  青森県陸奥国国(むつのくに)北郡(きたぐん)馬門(うまもん)村出
身の人。慶応2年(1866)4月、父己之松の長男に生まれた。明治3
年(1871)寅吉5歳の時、父と一緒に大野村に移り住んだが、2年後
の明治5年に一家そろって手稲村稲穂に移住し開墾に努力した。  当
時7歳だった寅吉は交通不便な時代に父母と一緒に半月も歩き続けて稲穂
に来たという。  一家は開墾をしながら炭焼きをし、作った炭を銭函
で売っていた。大木の茂った手稲山の裾野は熊が出没する危険な状態で、
子ども心に恐れをなしたという。父母の開墾に傾ける熱心さに感動して、
寅吉は16歳から大木の茂った稲穂の新しい土地を求めて開墾し、田んぼ
(水田)をつくり米づくりをした。稲穂地区の農業の発展につくした由緒
ある家である。
<収蔵施設コード> 11:手稲記念館
<大分類(コード)> 01:記録<地図や写真など>
<中分類(コード)> 01:記録<地図や写真など>
<小分類(コード)> 04:写真:レポート、写真、実測図、テープなど取材等の結果生み出された資料
<個別番号(コード)> 11-0027

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