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手稲山口バッタ塚
所在地 手稲山口324
 
説明

 明治13年(1880年)に十勝国河西、中川両郡で発生したトノサマバッタの大群が日高国に移り、勇払原野で二派に分れ、その一つが石狩地方へ飛んできました。バッタ塚は、このトノサマバッタの大群とその卵を埋めた塚で、開拓期の蝗害(こうがい)を伝えています。
 バッタは大量発生すると、群を成して飛んで移動します。その移動中に、水稲や作物などを全て食べ尽くしてしまいます。 
 当時、開拓が始まったばかりの山口地区は大きな被害を受けました。そこで、役所などがバッタの成虫や卵を買い上げ、一か所に集めて土中に埋めたものが、破壊されることなく今日まで残されているものです。
 このバッタ塚は、昭和53年(1978年)8月21日に、札幌市文化財史跡第1号の指定を受けました。